横手歴史絵巻~その8~
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皆さま、お久しぶりです!Takkyです

今回の歴史絵巻~その8~は、後三年合戦での逸話①を紹介いたします!
源義家軍の先鋒として戦っていた”鎌倉景政”という若干16歳の若武者がおりました。
ある日戦場で敵対する清原軍の放った矢が、右目に突き刺さります

しかし、景政は勇敢にも敵を射殺し、右目を負傷したまま自陣に戻ります。
苦しむ景政に、仲間が駆け寄り、右目の矢を抜こうと顔に足をかけます。
その時、景政はその仲間に斬りかかります。
景政は「武士であれば矢が刺さり死ぬのは本望だが、土足で顔を踏まれるのは恥辱だ!」と
言い、それを聞いた仲間は丁重に詫び、矢を抜いたという事です。
昔の16歳ってものすごく立派ですね

私が16歳の頃はこんな事絶対に言えません・・・。
その際に、景政が負傷した右目を”厨川”(くりやかわ)で洗ったといわれております。
その厨川には、それ以来片目の鰍(かじか)が住むようになった。という伝説が残っております。
この景政が敵の遺体を集めて弔い、杉の木を植えた塚が”影政功名塚”として残っています。
塚の杉は大木になっていたそうですが、残念ながら第二次大戦で火災にあってしまい、現在
残っているのは幹のみという事です。
この鎌倉景政に関する同様のエピソードが、現在の宮城県亘理町にも残っているそうです!
歴史の不思議ですね!
ちなみに!鎌倉景政は、鎌倉幕府の創建に深くかかわった、”梶原景時”のご先祖様と言われております・・・。
後三年合戦のエピソードはまだ、ございますので横手歴史絵巻~その9~へと続きます!
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